好きになれなかった故郷でサスティナブルな里山づくりを目指す

ソーシャルアントレプレナー、やまあいの地 代表

飯澤 清成

1961年生まれ。辰野町川島区出身。高校卒業を機に上京。経理専門学校を卒業後、大手ゲームメーカーに就職し、約20年のキャリアを積み経理部長を経て仲間と起業。会社経営や、複数の企業再生を手がけた。東日本大震災を機にふるさと川島に戻り、2018年に創業。自然栽培のお米を作りながら、里山の持続可能なビジネスモデルを構築中。

取材・文:矢田

なにやってるの?

百姓ではなく里山起業家に

川島の田んぼと山に囲まれた里山の原風景

飯澤さんは、生まれ育ったふるさと「川島」で無農薬、無肥料にこだわったお米を作っている。

町の中心地から車で15分ほどの川島は、谷の中心に横川川が流れ、川沿いには田んぼが並び、その両側には標高1000mほどの山に守られた昔ながらの里山の風景が広がる。アカマツの生える山では香りのよい松茸も採れる。

現在は米栽培と松茸山で生活をする飯澤さんは、ちょっと変わった栽培をしている。

「今年のテーマは江戸です」と『農業全書』と書かれた分厚い文献を見せてくれた。昨年から江戸農法を取り入れて無肥料、無農薬のお米を育てている。時代の最先端であるスマート農業から逆行することでブランディングした。

「ここ川島は周りを山に囲まれていて、ほとんど人工物がない自然豊かな土地です。この土地の個性を生かすには、なるべく自然のものがいい。それにこの谷間の土地では大規模農業はできないから、付加価値を高めてやっていく必要があった。そこで自然栽培という日本で1%に満たない希少な農法をはじめようと思ったんです」

江戸の農法にこだわるのは、里山に生活基盤となる雇用を生み出し、川島から持続可能な里山モデルをつくっていくためだという。

「川島のように日本の里山の多くは、昔とは違って外に出稼ぎをしないと生きていけなくなってしまった。だからこそ、私はこの川島の中だけでも生きていけるような、経済的に持続可能なモデルをつくって里山でも生きていけることを証明したいんです」

清成さんが、「百姓」ではなく「ソーシャルアントレプレナー」という肩書きを名刺に使っていることに合点がいった。

なぜ辰野?

憧れた東京と好きになれず飛び出した川島。それでも故郷に戻った理由

そんな清成さんも、若い頃はふるさとである川島は好きになれず、はやく出たかったのだという。

同じ町内にもかかわらず、川島に住んでいるだけで辰野町民から田舎者と言われることも。高校を卒業して上京し、東京の企業に就職。

経理の仕事などを経験し、フリーペーパーの会社の立ち上げに携わっていた2011年、東京で東日本大震災に遭った。その時、東京の交通、食料、様々なライフラインが途絶えたことに危機感を持った。東京が最先端の街だと思っていたが、東京は助けてられて生きていると気が付く。

「助けられて生きるよりも自分でちゃんと地に足つけて生きていきたい」

そう考え、東京ではなく地方で暮らすという選択肢を考え始めた。

「東京はもう生活するところではない。仕事するには面白い、遊ぶにも面白い。交流っていう意味でも面白いかもしれないけど、でも寂しいとこ、おれにとっては寂しい街だったんですね」

人生の半分以上を過ごした東京を離れることに迷いはなかった。そして、震災の翌年2012年に川島に戻ることとなる。

川島と東京の二拠点生活を始めたが、川島には仕事がなく、生計を立てる手段がなかった。川島で何ができるのかと見渡したとき、ここは山と農地に囲まれている場所だと気付く。そんな時、奇跡のリンゴの本を手に取った。著者の木村さんが自然栽培をやるにはお米がいいと勧めていたため、米農家をやろうと決意。

兼業農家が多い川島ならではだが、実家には田んぼと農機具もあったため、かつて嫌いだったふるさとで米農家をはじめることになった。

川島にあるかやぶきの館で蕎麦を食べながら取材に応じてくださいました

どうやってはじめたの?

経営の知識を活かした地盤固め

米農家をはじめるにあたり、まず取り掛かったのは事業計画の作成。経理、経営の知識や経験が活きた。
最初は家にあった農機具を使ってはじめ、規模拡大に合わせ農機具などを入れ替えていった。

米作りとブランディング

東京での仕事をリモートワークで継続しながら生計を立てていたが、2018年から専業農家として本格的に栽培を始めた。
米農家としてビジネスをするにあたり、意識したのはブランディング。
自然栽培にこだわったお米で2019年にJA農産物品評会「金賞」受賞。同年に米・食味分析鑑定コンクール国際大会にて認定書を授与した。翌年の2020年には長野県原産地呼称管理制度に合格し「認定米」に認定され、辰野町のふるさと納税の返礼品にもなった。
また、販路もポケットマルシェや食べチョク、自社サイトを利用し、次第に付加価値をつけたお米にファンがつくようになった。

江戸農法の参考書。日々、研究を惜しまない。

持続可能な里山へ

今はまだ事業計画の途上。地域の中でも飯澤さんの農法はまだ理解されないという。
「それを打破するには実績しかないですよ。5年間やってきて、だんだんと実績が出てきたんじゃないかなと思います。その理由は田んぼやってくれって頼まれるからね。だから一部の人にはそういう理解を得られてきてるのかなとは思ってます」

長年変わらない景色が続く川島の地で、新たな価値を作ろうと走り続ける飯澤さん。
今後は自然栽培で3ha以上の田んぼを作り、新たな雇用を生み出すことで人を呼び込み、持続可能な暮らしができる川島を目指している。

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