「地元でやりたいことも、夢もなかった」白鳥さんがはじめた地元食材を使った甘酒屋
甘酒屋an`s(アンズ)店主
白鳥 杏奈
辰野町で生まれ育つ。調理師学校卒業後、スーパーや車屋での経験を経て、 2017年に甘酒屋an`sを創業。主に辰野町役場やイベント等のキッチンカー出店で、甘酒が苦手な人や子どもにも飲みやすいフレーバー甘酒を販売している。
取材・文・写真:矢田
甘酒屋an`s(アンズ)店主
白鳥 杏奈
辰野町で生まれ育つ。調理師学校卒業後、スーパーや車屋での経験を経て、 2017年に甘酒屋an`sを創業。主に辰野町役場やイベント等のキッチンカー出店で、甘酒が苦手な人や子どもにも飲みやすいフレーバー甘酒を販売している。
取材・文・写真:矢田
かつて甘酒が苦手だった白鳥さんが作る甘酒は、米麹でつくり、旬のフルーツなどのフレーバーで飲みやすくブレンドされている。イベント等の出店だけでなく、小学生が育てたサツマイモを使って商品化したり、学生とのコラボもしている。介護施設で出店もしており、まさに地域密着型として地域からも愛されている甘酒屋。白鳥さんは「このフレーバーはあの人に飲んでほしい!」と常連さんを思い浮かべながら甘酒を作っているのだとか。目の前でお客さんが美味しいと喜んでくれることが何よりも嬉しいと話す。
甘酒は、辰野町の瀬戸ライスファームのお米と小野酒造の麹で作られている。すっきりフルーティーな甘酒にするために、小野酒造の酒蔵に入り、麹菌選びや温度管理などをしながら、より甘さが出る菌の張り方も杜氏さんと一緒に設計したという。地元の生産者のこだわりを間近で知ったからこそ、良さをちゃんと伝えたいという気持ちが生まれ、より甘酒への愛が深まったという。
「ちゃんと生産者さんの顔を見て人柄もわかって、どうやって愛を持って生産しているのか知った上で甘酒を作れるし、知っているお客さんに届けられるのが地産地消の良さ。その循環がとっても楽しい」
甘酒を通じた地域のつながりによって、辰野町の魅力が町内外のお客さんに広がってきている。
辰野町で生まれ育った白鳥さん。高校時代は得意なこともやりたいことも特になく、進路に迷った。将来の夢はないけれど、食べることが好き。せっかくなら学んだことを将来に活かしたいと思い、調理師学校への進学を考え始めた。そんな時、辰野町内に住む料理上手なおばちゃんが、辰野町の食材を使った美味しい料理を振る舞ってくれた。デザートに出されたのは苦手な甘酒だったが、一口で顔がほころんでしまうほどの美味しさだった。
「高校の時は地元の魅力にまだ気が付いてなくて、何もないから早く出たい。都会に住みたいって思ってました。だからその私からしたら辰野の食材でこれができてるっていうのが衝撃的で」
おばちゃんが作ってくれたのは辰野町で作られていた米麹の甘酒。「食べるっていうのは人を良くするって書くんだよ」というおばちゃんの言葉が印象に残ったという。ますます料理に興味がわき、名古屋の調理師学校へ進学した。
卒業後は家族の希望で辰野町に帰ることに。良き相談相手であり、名古屋で和菓子屋を営む祖母に「ばあちゃん、こっちは何もないわ…」と愚痴をこぼすと、「ないなら自分で作ればいいじゃん。誰かに出来て自分に出来ないと思うの?自分でやったら楽しいよ!」と背中を押され、そこから辰野町に自分でお店をつくれないかな?と動き出すことに。
地元を出たからこそ気が付けたのは、辰野町のお米や長野県産の野菜やフルーツの美味しさ。限定フレーバーとして旬のものを甘酒に使うことで、子どもたちに辰野町や長野県各地の食材の良さや旬を知ってもらいたいという想いがある。
甘酒は健康食と言われる一方、独特の風味が苦手な人や子どももいるが、フレーバーによって甘酒が飲みやすくなり、身体に良いものが美味しく摂取出来る。
「自分みたいに辰野町に何もないなって思ってた子たちが、地元いいなとか、帰省した時にこれ懐かしいなとか。そういうものに甘酒がなったらいいなって思ってて」
幼少期を振り返ったとき、懐かしいと思う食べ物に甘酒がなれるように、日本の伝統食をつないでいけるように、子どもに飲みたいと思ってもらえる甘酒をつくることをテーマにしている。
専門学校卒業後、本当は都会のオシャレなカフェで働きたかったが、就活のタイミングで辰野町に戻ることに。3年間と期限を決め、社会人経験を積みながら 貯金をするためにスーパーマーケットTSURUYAに就職。経営理念や社員教育について学ぶ機会となった。入社してすぐ20人近くのスタッフをマネジメントする立場となり、結婚、出産、育児と女性のライフステージが変化する中で、女性が組織の中で働く難しさに直面。将来を考えた時、自分にとって働きやすい環境を作るため、起業を決意した。
経営について知識がなかったため、数々の創業セミナーに行き、自分のお店を持つために勉強をはじめる。
資金もなかったため、一番小さく始められるお店を調べて行きついたのが「移動販売車」。何を売るかは決めてなかったけれど、これでお店を始めてみようと決意。友人の父が車屋だったため、移動販売車をやりたいことをとりあえず話してみた。
3年間勤めたスーパーでの仕事を退職したタイミングで、移動販売車などのカスタムカーのデモカーを一緒に作らないかと車屋から声がかかり、車屋でバイトをすることに。
2年間は平日に車屋とカフェでアルバイトをしながら週末は甘酒屋。デモカーで移動販売車の作り方や使用感を試しながら、カフェのアルバイトでは立ち上げにも関わり、経験を積んでいった。
移動販売車をはじめて3年、白鳥さんのこだわりが詰まった現在の移動販売車がついに完成した。
「私ができたんだからみんなできると思う。自分ならではの仕事があるってすごい豊かだなって思う」
はじめは具体的にやりたいことがなかったところから、ちいさなきっかけを大事にしたり、自分の想いを大事にしたり、試行錯誤を繰り返し、少しずつ自分のイメージ、目的がかたちになってきた。
そして基本にしているのは‘‘自分が楽しむこと‘‘
キッチンカーには白鳥さんの笑顔や、会話を楽しみにするお客さんの列ができている。
自分らしく働くこと、地域やお客さんのことを想って積み上げてきたひとつひとつの行動が、甘酒屋an`sを中心に温かみのある地域のつながり、循環を生み出しはじめている。