「子育ては地域みんなで」川島に子どもと大人の居場所をつくる

NPO法人木の子 代表

菊地 ユミ

東京で人材系のコンサルティングファームにて働きつつ、もともと趣味であったヨーガ療法士の資格を取る。その後、家族で辰野町に移住し個人事業としてヨガ療法士を始める。NPO 木の子を2022年に設立し、子どもと大人の居場所をつくっている。

取材・文:小菅

なにやってるの?

子どもと大人の居場所づくり

「ああ、根橋さん家の息子さんね。大きくなったわね!」

辰野町で長年つづく御柱祭で青年会が町の家を一軒一軒回ると、毎回こんな会話が聞かれる。自分の子どもでなくても、近所同士で子供の成長を見守ってきているからこそのやりとりだ。

そんな風に地域で子どもを育てる文化が今も残っている辰野町川島区で、菊地さんは子どもと大人の居場所をつくっている。毎週金曜日に地域の公民館を解放して赤ちゃんから高齢者が一緒に時間を過ごせる場所をつくっており、昼間はフリースクール、夕方は放課後クラブとして運営している。

もともとヨーガ療法士と英語の先生、そしてNPO法人木の子の前身である木の子クラブのボランティアをしていた菊地さん。それぞれの取り組みを分けずに全てを一緒にやってしまえばより良い場がつくれるのではないかと思い至り、現在のNPO法人木の子の活動に繋がった。

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なぜ辰野?

子どもはみんなで育てるもの

菊地さんは前職の東京の人材コンサルティングファームで働いていた時に、自分のやりたいことと仕事としてやる必要のあることのギャップに悩み、軽いパニック障害を患ったことがあるという。その時に、もともと趣味として嗜んでいたヨガに助けられた経験から、菊地さん自身もヨーガ療法士になり、その後、仕事をやめて家族で辰野町に移住した。

辰野町にきてからは辰野と諏訪近辺でヨーガ療法士として仕事をはじめ、そこで、大人になっても、子どもの頃に言われたことや経験したことに苦しみ続けている人がたくさんいることを知った。そして、「果たして自分は上手く子育てできているのだろうか?」ということを考えるようになったという。

実際に自分の子育てを振り返ってみて、「正直どう評価すれば良いのか分からなかった」と菊地さんは話す。親も人間であるため、感情に流されてワッと声を荒げてしまうこともある。そういう時に、他の親が別の言葉を自分の子どもにかけてくれたら、子どもも親も救われるのではないか。「子どもはみんなで育てるもの」という考えが菊地さんの中で固まった。そして、地域で子どもを育てる文化がまだ残っている川島でなら、理想の環境が作れるのではと思い、NPO木の子を立ち上げた。

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どうやってはじめたの?

想いをつないだ継承

NPO法人木の子は、前身の木の子クラブを引き継ぐ形で菊地さんが立ち上げた。もともと木の子クラブでは今取り組んでいる放課後クラブや、季節ごとの子ども向けのイベントを開催していた。NPO法人木の子ではそれらを引き継ぎつつ、昼間のフリースクールと赤ちゃんの受け入れを新しく始めた。

ただ、継承すると言っても運営母体が変わるため、運営メンバーを新しく集め、ビジョンや取り組む内容を決めるところから再出発した。

新たなかたちで再スタート

まず木の子クラブに関わっていた人たちに菊地さんがつくりたい理想をプレゼンし、そのビジョンに共感してくれた人が運営メンバーになってくれた。NPO立ち上げに必要な10人がちょうど集まり、晴れて起業した。

その後、集まった10人でNPOの活動としてやりたいことを話し合い、「子育てを相談できる人がほしい」「知り合いの子どもが学校にいっていない」「近くに住んでいる高齢者の人が一人暮らしで心配」などという意見が集まった。

それらの意見に共通していた軸として「子どもも大人も一緒に過ごし、地域全体で子どもを育てる空間」をつくっていくことが決まった。

新たな拠点から

現在は川島内で新たな活動拠点も見つかった。今後は、より高頻度で子どもや大人、多世代の居場所をつくっていけるように準備を進めている。

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