わたし、暮らし、生業、自然。どれも犠牲にしない道をえらび、はじめた古民家宿と里山再生

ドキュメンタリー映画監督、古民家民宿なないろ

鎌仲 ひとみ

富山県氷見市生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。大学時代に友人の自主映画を手伝ううちに、ドキュメンタリー映画作家を志望する。 その後、文化庁芸術家海外派遣助成金を受け、カナダ国立映画製作所へ渡ったのち、ニューヨークでメディア・アクティビスト集団「ペーパー・タイガー・テレビ」にも参加。 帰国後はフリーの映像作家として、NHK、小泉修吉の「グループ現代」での映像を制作。 2003年に監督したドキュメンタリー映画「ヒバクシャ―世界の終わりに」は文化庁映画賞文化記録映画優秀賞ほか、多数の賞を受賞した。その後に監督する、「六ヶ所村ラプソディー」、「ミツバチの羽音と地球の回転」など多くの作品を世に放ち、国内外で高い評価を得る。多摩美術大学非常勤講師。

取材・文:北埜

「やりたいことをやるには、それなりの犠牲が伴う。でも、やりたくないことをやり続けることの方が犠牲だとしたら?」

ドキュメンタリー映画監督として30年間以上にわたって、活躍してきた鎌仲さんは、経営していた映像制作会社を縮小して、2020年に東京の世田谷からここ辰野町の小野エリアに移住。新たに里山を再生する3つの事業をはじめている。

社員を抱えていたため、長野に移り住むことは簡単ではないはず。「思い出したくないくらい死にそうだった」と当時を振り返る鎌仲さん。

それでも、一大決心をして第二の人生を辰野ではじめたのはなぜだったのでしょうか。そして「5年というロングスパンで移住計画を立てた」という鎌仲さんは、どのように理想の暮らしに近づいていったのでしょうか? 鎌仲さんのはじめ手ストーリーから、第二の人生のはじめ方を考えてみませんか?

なにやってるの?

古民家民宿、自然栽培、映画制作。「生業のかけ算」でやりたいこと、無理なく、持続可能に

東京・世田谷区に「ぶんぶんフィルムズ」という社会派ドキュメンタリーの映像制作会社を経営していた鎌仲さんは、いくつもの偶然が重なり、2020年にここ辰野町小野エリアに移住した。

いま現在では、鎌仲さん、岩田さん、飯田さんの3人チームで「ドキュメンタリー映画の制作」「古民家の農家民宿」「自然栽培農業」の3事業をはじめている。
3つの事業を通じて、「古民家再生と農地の再生を通じて、里山に人の循環を生み出したい」と語る鎌仲さん。

具体的には、築160年の古民家をリノベーションして民宿に。食事には、農薬や化学肥料を使わない自然栽培でできたお米や野菜を使った里山の家庭的なコース料理がいただける。さらに、里山再生に取り組む様子を撮影し、環境に関するドキュメンタリー作品も制作中だ。

異なる3つの事業に同時並行で取り組むのは、稼ぎの分散にもなり、やりたいことを持続可能な形で続けるためのコツでもあるという。

「一つのことだけで生きていくのは難しい時代になって来た。例えば、日本の田舎で農業だけで生きていくのは本当に難しい。複数の生業を組み合わせることで無理なく続けられていると思うね」

2021年にはAirbnbも始めて、コロナ禍の中にもかかわらず、目標だった100組のゲストが、中国、オーストラリアやアメリカなど世界中から訪れたという。

「びっくりしたのが、ロールスロイスに乗った中国人のお客さんがいらしたんです(笑)。こんな田舎で見るとは思わなかったのでびっくりしちゃったよ(笑)」

中国人のゲストいわく、「ここには日本のそのままの暮らしが残っていて良い」と大満足だったという。

なぜ辰野?

偶然と必然。ご縁の循環で巡り逢った、夢の古民家と田舎暮らし

「ずっと映画中心の人生だったから、もう少し自分の暮らしを豊かにするような生き方をしてみたかったの。こっちに来てみたら、全然ゆったりなんてできていないけどね(笑)」

制作してきたドキュメンタリー映画は、日本各地の地域を舞台にした作品が多かった。

「東京にお金も権力も集まって、何もかも東京が決めるみたいな、東京一辺倒な価値観に問いを投げかける作品を作ってきたのに、その自分たちが東京から映画を作っているってちょっと自己矛盾を感じていて」

原発や核問題にかかわるドキュメンタリー映画など、鎌仲さんはずっと地域に根ざして活動する市民を取材し続けてきた。
「そういう人たちのように、いつか自分も地域に根ざして、また新たな視点でドキュメンタリー映画を作ってみたいと思っていたの」

そんな中で、東日本大震災が起こり、福島第一原発の取材を敢行。しかし、自身も被ばくするなど、ダメージは大きく、本格的に地域への移住を考えるようになった。

「私たちは世の中に受けのいいエンタメ映画を作っているわけではなくて、社会派ドキュメンタリーなので、毎月百万円もスタッフに家賃にお金を払い続けるのは持続不可能だった。自分たちも自然の中で暮らし、豊かになりながら、伝えたいメッセージを伝えていく、持続可能な経営を考えたとき、辰野町に出会ったの」

ただ辰野町との出会いから移住に至るまでは決して計画的なものではなく、鎌仲さんは、「突発的な出会い頭の事故」と表現する。きっかけは、CSA(Community Supported Agriculture)と呼ばれる消費者参加型農業に取り組むことで有名な農業法人「なないろ畑」がぶんぶんフィルムズの映画を上映したことだった。なないろ畑にはお金がなかったため、農業法人らしく、野菜でお礼を支払ってもらうことになったという。

「事務所に箱いっぱいのお野菜が届いて。どれも新鮮ですっごく美味しかった。てっきり1、2回で終わるかと思ったら1年間ずっと送られ続けてきて(笑)」

鎌仲さんの映画制作パートナーでカメラマンの岩田さんは、かねてより農業に関心があったこともあり、なないろ畑を気に入り、農業研修をすることに。そんな、なないろ畑の地方拠点が、現在の古民家なないろだった(ちなみに、古民家なないろメンバーの飯田さんはなないろ畑の住み込みスタッフとして、古民家に暮らしていた)。



そんなご縁が続く中で突然、なないろ畑代表の片柳さんが亡くなり、古民家の売却案が浮上。ちょうどそのころ、地方への移住を考え始めていた鎌仲さんたちが、管理運営をすることになったのだという。片柳さんとともに古民家の管理をしてきた飯田さんがこう語ってくれた。

「なないろ畑の代表は、いま私たちがしているような暮らしをずっと夢見てきてここの古民家を買ったの。それは結局叶わなかったけれどね」

鎌仲さんは、最後に私たちにこんな話をしてくれた。

「ここ、本当に立派な古民家でしょう。大工さんにもこんなに状態のいい古民家は珍しいと言われるくらい。片柳さんやこれまで多くの人が大事に繋いできたこの古民家が資本になってくれて、私たちも生かされているのよ。もちろん私たちもさらにここに磨きをかけている。張り替えたアカマツのフローリングも、この薪ストーブも、きっと次の100年まで続いてくれると思うよ」

辰野との出会いも、古民家との巡り合わせも、全くの偶然。さまざまなご縁がつながって、鎌仲さんたちの今がある。

地域で何かをはじめるとき、全て自分たちの意思でゼロからはじめないといけないと思うと、とても長い道のりで、先が見えないように感じる。

けれど、鎌仲さんたちのエピソードを聞いていると、自分たちの思いだけでは辿り着けない偶然性のようなものを感じる。そんな幸せな偶然は全くのたまたまではもちろんない。「こうなったらいいな」という思いは胸の内に育み続けていく。そしてそれに呼応するように、ご縁が巡ってくる。そんな偶然の中の必然のようなものを感じるお話だった。

どうやってはじめたの?

311で都市生活の脆さを考え始める

「ぶんぶんフィルムズ」の経営パートナーの死と地方移住の決意

2015年、鎌仲さんの作品をかねてからプロデュースしてくれ、ぶんぶんフィルムの立ち上げも一緒に行った、小泉修吉さんが突然亡くなる。東京で映画をつくり続けることへの思いも吹っ切れて、ここで地方への移住を決意する。
ここから5年をかけて、長くつらい会社の縮小計画が始まっていく。

映画の上映と、なないろ畑との出会い

農業法人「なないろ畑」が、縁あってぶんぶんフィルムズの映画を上映。そのお礼として野菜のお礼が1年間続く。カメラマンの岩田さん(鎌仲さんの映画制作パートナー)が、なないろ畑で農業研修をすることに。なないろ畑は地方拠点として辰野町小野の古民家を保有していた(現在の古民家なないろ)。

畑見学のついでに稲刈り手伝い。自分たちの田んぼを持つ

2018年秋、本格的な移住を検討するために、辰野町にあるなないろ畑の見学にいくことに。なないろ畑の代表である片柳さんから電話が入り、「刈れていない無農薬のお米があるから稲刈りをしてくれないか」。
行くとほとんど鹿に食べられていたが、無事刈って食べてみるとあまりの美味しさに感動。東京から通いながら自然栽培の田んぼを育てはじめる。

なないろ畑の代表が亡くなり、古民家を引き継ぐ

なないろ畑代表のの片柳さんの死により、2020年に古民家が売却される可能性が浮上し、古民家の運営をすることに。

会社の縮小が終わり、いよいよ移住。

スタッフの次の就職先を探すなど約5年をかけて、進めてきた会社の縮小にめどがつく。「この時期が一番大変だった」と鎌仲さん。
ちなみに移住する直前にリリースした最新作の映画が「インデペンデントリビング」。この頃にコロナも流行したため、映画上映からオンライン上映に切り替える。

古民家改修のためのクラファンがスタート

2021年3月、フローリングや畳の張り替え、薪ストーブの導入などを目指して実施。これまでに映画制作を通じて育んできた繋がりやファンの方の応援もあって、380万円を超える資金を集める。

Airbnbを開業

2021年8月、Airbnbに掲載したところ、いきなり30件ほどの予約が入る。Airbnbの掲載前は知り合いの宿泊がほとんどだったが、全く関わりのない人たちにも古民家なないろを知ってもらうことができた。

宿泊者、100組を達成

2022年にはオーストラリア、アメリカ、オランダ、中国など国内外からゲストがやってきてくれた。

はじめ手図鑑一覧